恵まれない人たちを救おうと活動を始めた人が、嫌になって止める一番の理由は、不幸であるはずの恵まれない人たちが自分より幸福そうに暮らしていることに気がついたからなんだだそうです。つまり、バカバカしくてやってらんない、というわけです。これはどういうことなのでしょうか?
自分より不幸な人のそばに寄ることにより、自分が比較優位にあることを確認し優越感に浸りたい。これは人間である限り避けられない欲求のようです。したがって誰にでもそうした心理は働くはずですが、優越感は劣等感と隣り合わせであるため、すぐさま立場が逆転してしまう可能性があります。自分より幸せそうに暮らしている人のための活動なんて、つまり劣等感を感じながらの活動なんて続けられるはずがありません。
この場合、善意に包んでいたものは、より不幸な人に接することによって優越感に浸りたいという欲求、と考えることができます。
23日に発生した新潟中越地震以降にも似たような話があったようです。それは、被災者達を救うはずの活動が、実は被災者らの脚を引っ張っていたりすることから分かります。被災地に自分の食料や寝場所も用意せずに現地入りしようとする利己的なボランティアや、現地の店に置かれた貴重な食料を買い占める金持ちマスコミなどの動きがこれにあたりそうです。
被災地からこぼれ落ちるように伝えられるボランティアやマスコミについてのエピソードに感じられる”悪意”をどうとらえたらよいのでしょうか?
聖人となったマザーテレサやピューリッツア賞を受賞するようなジャーアンリストらが”月”なら、その人たちは”スッポン”であるに違いありません。この場合、月とスッポンの違いは何なのでしょうか?
月とスッポンの場合は、月の丸さとスッポンの甲羅の丸さの違いが、同じ丸と称しながら実は大いに違う、ことに由来するようですが、同じ善意が語られながら明らかに違うのは、相手を助けているのか困らせているのか、の違いにあるようです。
我々も”善意”という言葉にもうろうとして、うっかり現地に不要品を送ってしまわないように気を付けなければなりません。なぜならこの行為には、送り手の未熟で利己的な優越感が善意と呼ばれる風呂敷に包まれている、と思うからです。
-2004/10/31
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