気分が爽快なので、ここで気分転換して不快な気分にしよう、などと考える人の話は聞いたことがありません。となれば、気分転換とは不快な気分を爽快な気分に転換することを意図した行為だと言えそうです。それでも、気分転換の方法が人によって、そして同じ人でも日によって違うのはどうしてなのでしょうか?
不快な気分を避けるために気分転換を試みるわけですから、不快な現状から遠ざかるために、まず今いる物理的な場所から遠ざかるという方法がとられるのが普通です。何となくもやもやするから、外に出て虫干しをする、というケースがこれにあたりそうです。
ところが、”外に出てもすっきりしない。どうも、これだけでは嫌な存在から遠ざかることにはなっていないらしい。” と気がついたとき気になるのは、”遠ざかるべき嫌な存在とは、もしかしたら自分自身なのかもしれない”、ということです。
たしかに、それであれば、どんな遠くに出かけても、嫌な存在から遠ざかることはできません。それじゃあ絶望的じゃないか、ということになりそうですが、そうではないようです。
遠ざかって保つべきは物理的な距離ではなく、心理的な距離ですから、自分自身を振り返る暇もないくらいに忙しく働くことで気分転換をする、という方法もあります。となれば、「忙しい、忙しい」と顔をほころばせながら働いている人は自分のことが嫌いなのでしょうか?
そういうことじゃないようです。どこからも文句が出ないような健康な人でも、退屈そのもの、が最大の不幸らしいのです。そしてその退屈から逃れてせわしげに動き回れる無我夢中の時間を、わけもなく幸せな瞬間だと感じるようなのです。
それはなぜなのか?DNAのたくらみなのか、それとも一度も会ったことがない神と呼ばれる絶対的な存在の仕業なのか?ともかく、気分転換の試みはそのようなカタルシスをつかみとるためのもがきなのかも知れません。
-2003/10/17
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