最近潜在意識に関する本を読んだり、あるいはネットで調べたりしているうちに、かねてから不思議に思っていた”天才はなぜ天才と呼ばれるようになったのか”という疑問について何となく感じたことがあったので、忘れてしまわないうちにまとめて置こうかということで書いているのがこのコラムです。
すでに別のコラムで書いたかも知れませんが、小さい頃は天才に憧れました。天才であることによって得られる名声や充実感を想像してそんな人になってみたいと考えていた時期があったわけです。
ところが天才と呼ばれた人々の人生を知るに従い、あまりうらやましいとも思えなくなったのも事実です。天才でありたいと願うのは、それが自分が幸福になるための近道だと考えたからですが、天才達の生涯はあまり幸福だったとも思えません。発明王のエジソン【Thomas
Alva Edison(1847-1931)】は特許出願で裁判に明け暮れ、ベートーベン【Ludwig
van Beethoven(1770-1827)】は聴力を失います。女性の裸体を描いて傑作を残したルノアール【Pierre-Auguste
Renoir(1841-1919)】も不満を多く抱えていたようです。
脳生理学の専門家は生まれたばかりの脳は凡人も天才も同じだと言います。一方、天才であるということと知能が高いことは必ずしも一致しないと言います。知能が高いだけでは秀才にはなれても天才にはなれないということになります。
このサイトでよく登場するフロイトは芸術や文化の分野で発揮される優れた才能は潜在意識から生まれるのではないかとも言っています。また心理学では社会的に認められない衝動や欲求を満たすために、高度な芸術や宗教活動など、より価値の高いものに置き換えることを”昇華”と呼んでいるようです。これは自分という人間が精神的な落ち着きを得るための防衛機制のひとつなのだそうです。
最初は誰もが同じく真っ白な脳にその人独自の経験や刺激が蓄えられて自分でも気がつかない潜在意識の世界が出来上がってゆきます。できるだけ自分の希望に添うような生き方をするためには自分の脳を育てる必要があるという人もいます。しかし、潜在意識の世界は意識出来る世界より遙かに広いため、ある日ある時、まるで神の啓示でも受けたかのように、あるいは自分以外の誰かが筆を走らせて絵を描くような経験をすることが天才の始まりかも知れません。
誰一人として同じ潜在意識を持っている人はいないということは、いつ何時そんなひらめきが訪れるとも限らないということでもあります。しかし、そのひらめきを何らかの形で表現する手段をスキルとして磨いておく必要があることと、そして幸せであるためには必ずしも天才になる必要はないという点が肝心なのかも知れません。
-2001/11/19
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